【大村神社】

大村神社とは?

 

大村神社は「延喜式」の神名帳に社名が記載されています。それ以前の「三代実録」に、八六三年に神位が正六位上から一階級昇進し従五位下に叙せられたことの記載があります。このことからも 当時からこの地方きっての古社であることがうかがえます。当社の主神、大村の神の御名は、現存する日本最古の書物「古事記」や 「日本書紀」に「伊許婆夜和気命」「池速別命」とそれぞれ記されています。「宝殿」は国の重要文化財となっています。拝殿の西に「要石」が奉斎されています。この霊石は、地下深く広がり、大地を揺るがす大なまずをしっかりと押さえていると伝えられています。又大村の森全体が大きな岩盤におおわれ、この地域をしっかりと護っていると伝えられています。毎年、9月1日の防災の日に地震除災祈願大祭が斎行され、毎年11月2日・3日には秋祭りが行われ大ナマズが花車に乗せれ、神興とともに阿保を練り歩きます。このナマズは地震の揺れにもびくともしない「要石」のお供であり、地震から守ってくださるナマズです。このことから大村神社は別名「地震の神様」とも呼ばれています。

 

歴史

 

 創建は不明となっています。社名は、「延喜式」の神名帳に「大村神社」と記されています。俗に「大森ノ社」と称されたことが「三國地志」などに見えます。 本居宣長の 「菅笠日記」に、「岡田 別府などいふ里を過て、左にちかく、阿保の大森明神と中ス神おはしますは、 大村神社などをあやまりて、かくまうすにはあらじや」と記されています。神社境内が、大きな木々に覆われているために、 「大森」といふ俗称で称されたのではないかと言われています。又現存の棟札には「鹿嶋大明神」(大正十五年)、「鹿嶋宮」(元和七年、安永八年)などと記されています。 当時、大村の神と共にお祀りしている鹿嶋神に対する崇敬か厚かったため、この様に称されたものと言われています。

・三大奇鐘

 大村神社には三大奇鐘の一つ「虫食鐘」があります。江戸時代、禅定寺の和尚が鋳造したものである。この鐘の中に大和国葛城の豪家の娘愛蔵の古鏡一面を鋳込んだところ、亡くなった娘の亡霊が現れ「鐘乳(こぶ)」を全部落としたと言われています。鐘を食う虫の正体は、娘の一念であるという言い伝えがあります。